さといもと日本人

こんにちは。天然農法中川吉右衛門です。

秋の深まりに、身体が要求する野菜がある。
それは、サトイモ類とヤマイモ類だ。

掘り立ての吉右衛門さといも(土垂)


これらのイモ類は、腸内吸収率の高い糖タンパク質が主成分で、コメやムギなどのデンプンとは違った特質がある。
それだけに、日本人との関わりも古い。

日本列島でのサトイモは
、最も古い野菜の一つ。
栽培の起源は古すぎてわからない。
 
しかし、サトイモは”つくりいも”と呼ばれているのだから、栽培されていたのがわかる。
栽培作物の元祖とも言える。
もちろん、コメ以前の常食である。

サトイモの名は、ヤマイモが山地に自生しているイモに対し、里の畑でつくるイモ、ということで”里のイモ“と呼ばれていたからだ。

元々、イモと言えば妹で、男が女を親しんで呼ぶ古語である。

つまり、子を産む女のことで「妻」のことだ。
 
サトイモは子イモを多く吹き出して育つ。
その様を愛妻に例えて”イエのイモ”とも呼ばれ、家族並みに大切に扱われた。

大昔の家族は大家族だったので、子は多いほど良かった。
『親の知らん間に子ができる』
と、喜んでいた。
その様がちょうどサトイモが子イモを着生させて増えるのと同じで、子芋は困るほど、たくさん成って欲しいということだ。
 
増殖した子芋は”イモ(妹)の子”と称し、親よりも上品で、愛らしく美味である。
俗に言う「親に似ぬ子イモ」で、その可愛らしさは「きぬかずき」で、中秋の名月には、お団子と共に仲良く並べてお月様へお供する。

一方、正月の雑煮に親イモを入れ、家長のみがそれを食べるという習俗もある。
イモの頭領株と一家の長を見立ててのことである。

このように、家族同様に育てられるには、長い年月、人間と関わってきた栽培の歴史があってこそだろう。

現に、僕も、なぜ?こんなにもさといもを栽培したいと思ったのか?
当初は、明確で強い想い入れなど微塵もなかった。
が、百姓をやるなら、さといもつくるだろ。という、極々当たり前のこととして、サトイモを植えたのである。

また、掘り上げる時に見る、子イモ、孫イモの愛らしさは、他の野菜たちとは一線を画すものがある。

それも、なぜそう想うのか?という明確な理由などない。

が、こうした我々日本人とサトイモとが共に生きてきた歴程がそういう想いを馳せさせるのであろう。

こういうことの全てが、僕は”ロマンティック”だと思うのである。

令和2年。中川吉右衛門のサトイモいよいよ販売です。

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