生きてる・生きてく

【 生きてる・生きてく 】
 
仕事が終わり、家の裏にある作業倉庫へ行く。
最近は日が暮れるのがめっきり早くなった。
長靴をサンダルに履き変え、そこにある椅子にしばし座り、スマホを弄る時間がなんとなく好きだ。
 
そうこうしているうちに、夕飯の支度ができたと電話がなるので、それまでは、スマホを弄ってあちらこちらの情報に触れる時間。
 
今日も夕飯の電話がなり家に入り、台所へ行く。
入るとすぐにファックスが点滅しているのに気がついた。
データを見てみると、2021年産中川吉右衛門米定期便のご注文ファックスが届いていた。
お!?誰からかな♫
いつもながら、心が踊る瞬間だ。
 
本体のディスプレイに映る画像をスクロールすると、僕の心はより一層高鳴り、文字通り心が躍った。
その注文者に、強い想い入れがあったからだった。
その名前を見たとき、一気に、
「やった!!!!今年も来た!!!!!よ〜〜〜しよしよしよし!よし!よし!!!!よかった!!!!」
と、ガッツポーズをして、喜んだ。
 
その様子を見ていたコマちゃん(かみさん)は、
「え?なに?だれ?どしたの?」
と、怪訝な表情。
 
それを横目に、僕は
「今年も来たんだよ!今年も!ちょ・ちょっと待てよ〜〜♫ い・今!プリントするから!」
と、興奮しながら、ファックスに紙をセットした。
 
プリントしている間ももどかしい。まだかまだかとプリントを待つ。
毎年、ファックス申し込み用紙に書いてある、メモ・備考欄が気になって仕方がない。
プリントが終わる。ファックス本体からそれを奪うように紙を手にし、目は目的の場所へ瞬間移動する。
嬉しくて嬉しくて。
この時僕は、この後すぐ 身体の芯がすっぽり抜け、床に沈んでいくような感覚の中、言葉が出なくなることになるとは、思いもしていなかった。
 
******
 
あれは、6年前だっただろうか。
僕も主催としてやっていたイベントに彼女は来た。
僕の話にとても感銘を受けたと、目をキラッキラさせて、イベントが終わった後に挨拶に来てくれた。
 
彼女の夢は、僕のような栽培法で、志を持ち、目指す目標に向かう百姓を応援すること。
そのために自分ができることは、より多くの人に僕のお米を食べてもらうこと。
その美味しさに触れてもらうこと。だから、小さくてもいい。店舗型のおむすび屋をやりたい。
僕のお米で結んだお結びで、私が感じたように、たくさんの人に感動を与え、人と人を結んでいきたい。それが彼女の夢だった。
 
当時の僕は、正直、そこまで彼女に想いを持っていたわけではなかった。
なぜなら、似たようなことを言ってくる人は結構いたし、実際、言う事は言うのだが、結局こっちが真剣に応援すると身を乗り出すと、自然にいなくなるか、なんなら、お米を注文するだけ注文して、未払いのまま、音信不通になる人間もいた。
 
そんな経験を少なからずしていたため、この娘はどうなんだろうな?と半信半疑だったからだ。
 
しかし、彼女は自分の言った通り、何度か相談のメッセージをしてきて、その度に僕は色々と率直な意見を述べ、それを素直に取り入れたりしながら、着実に、着実に、自分のお店を東京の一等地にお店を構えた。
 
資金も多くはかけられないので、知人・友人のコネクションをつたい、ある店舗の空いてる時間を間借りした自分の夢の第一歩の空間。週に3日程度、ランチタイムや夕方の時間と、開店時間もまちまちだったけど、彼女は、自分の夢につづく空間を創り上げたのだった。
 
僕は、心から嬉しかった。
彼女の夢に向かう姿。決めたことを着々とやり続ける力。全てがキラッキラだった。
 
彼女の口癖は、
「中川さん、すみません!今月はまだこのぐらいしか売り上げがないので、ほんと少しばかりの注文ですが、よろしくお願いします!」
 
限られた営業時間の中で、全てを自分の手で結んだ1個200円程度のお結びを売っていたのだから、大量のお米の注文が入ることなどないことぐらい、よーく分かっていた。
 
にも関わらず、毎回毎回、「少なくてすみません」と言う彼女が、なんともいじらしく、またその謙虚さが、商売っ気がないと言うかなんと言うか、、、
そんなに儲からないだろうなぁと、思いつつも、応援したくなるポイントでもあった。
 
それにしても、気合いと根性のある女性だ。
何が彼女をそんなにも突き動かしているのか。興味が湧いた僕はある時聞いてみた。そして、彼女の真実を知った。
 
「私、乳がんになったんです。」
 
彼女は乳がんになり、治療をする過程で、初めて真剣に自分と向き合ったと言う。
これまでどんな生活をしてきたのか。どんな食べ物を食べてきたのか。
どんな想いで、その食べ物を考え、向き合ってきたのか。
そこから彼女は、これまでの生き方、これからの生き方、食に対し、真剣になったのだった。
 
その中で、自然栽培を知り、自然栽培のお米や野菜を食べてみるようになり、気になった生産者に会いに行ったり、講演会やセミナーなどに行くようになり、知識つけていった。
 
そして。
僕のお米に出会った。
 
彼女は言っていた。
 
僕のお米を食べた時の衝撃と感動は、いつまでも忘れる事はない。僕のお米を食べると、身体が反応するのだと。温かくなるのだと。
乳がんになった私だからこそわかる。私にいつもエネルギーを与えてくれるのは、中川さんのお米なんです。
だから、どうしても中川さんのお米でお結び屋をやりたかったんです。と。
 
僕は言った。
「君は最高だ。そして最高にラッキーだ。なぜなら、僕のお米に出会ったから。僕のお米を食べていれば、きっと全快する。だから大丈夫!」
 
それから数ヶ月が経ち、彼女からメッセージが届いた。
それは、乳がんがまた再発した為、治療に専念することにしたと。
だから、お結び屋は一度閉めます。と。
 
僕はクソッタレ!!!!!と思った。
なぜ!?彼女に?!?またガンが再発するのか!?遣る瀬がない気持ちでいっぱいだった。
 
彼女は、お結び屋をやっていなくても、中川さんのお米は食べますので、また注文しますと言った。
僕は、そうだよ!俺の米を食べていれば、必ず元気になるぜ!と、言い続けたし、そう信じていた。
 
それから半年ほど経った頃。ちょうど春先の田植えのシーズンだった。
彼女からメッセージがきた。
内容は、「中川さんの田んぼに行きたい!なので遊びに行ってもいいですか」と言うものだった。僕は、喜んで了承した。
 
むしろ、おおおおおお!!よっしゃーー!!!!治療がうまく行っているんだな!!!と、小躍りするほどに喜んでいた。
 
春の風が田んぼを通り抜ける、心地よい田植え日和だった。
彼女は、東京から僕の家までやってきた。
一緒にパートナーも連れて来た。
なんと、その彼と結婚したと言う。
そういえば、途中から苗字が変わったんだっけ。
 
そのパートナーと一緒に、僕の家に来て、茶の間でお話しし、田んぼを見て、一緒に田植えをした。
彼女は心から嬉しそうだった。
パートナーの彼もそれを見て、とても喜んでいた。
「幸せ」というのは、こうした、今、この瞬間に流れる1秒1秒のことを言うのだろう。
その重なりが、幸せそのものなのだ。
 
この時、僕には忘れられない彼女の言葉がある。
 
「今度いつ来れるかわからないから、思い切って来ました。実は、例の乳がんは思った以上に良くない状態なんですけどね笑 でも、彼もいるし、彼が居てくれるから、何かあっても大丈夫かなって思って笑 今しかない。こんなタイミングは今しかない。
何が何でも中川さんの田んぼを見て、田んぼに入りたかった。だから来たんです。」
 
彼女はその時も、キラッキラだった。
 
****
 
あれから5年が経つ。
彼女は、毎年僕の定期便を購入し、自分が言った通り、僕のお米を食べ続けてくれていた。
SNSなどはもうやっていないようで、僕からの情報はメールマガジンを読んでいるぐらいだと思う。
 
なので、ここ5年の僕と彼女のやりとりといえば、毎年、この時期に来る定期便ご注文のファックスの備考欄が唯一の接点だった。
 
僕はこの時期になると、この定期便ファックスを心待ちにするようになっていたのだった。
 
毎年、彼女からの注文ファックスが来ると安心した。心から嬉しかった。
よし!今年も元気に僕のお米を食べてくれるに違いない!と。
狭い備考欄に、目一杯の文字で、近況などを書いてくれているのを見るのが、たまらなく好きだった。
 
それを見るたびに、僕にできることはなんなのか?問い続けた。
それは、毎年彼女の輝きを曇らせることのない中川吉右衛門米を創ることだ。
そんな使命感を勝手に持って、百姓を続けているのだ。
ファックスが来るたびに、その想いを僕の細胞に刻み込んでいるのだ。
 
昨年もファックスがきた。当然嬉しかった。
しかし、なぜか雰囲気が違う。
備考欄を見ると、その理由が理解できた。
彼女は文字が書けなくなってしまっていた。
パートナーの彼が、代筆で文字を書いていたのだった。
胸が締め付けられた。こんな時、なんて言ったらいいのか。
 
それでも僕は、その想いも全部すっかり飲み込んで、自分の血肉にしていこうと決めた。
だから、今年の注文ファックスが届いた時。
いつも以上に喜び、いつも以上に興奮し、いつも以上に嬉しかった。
ファックス本体から、プリントされた紙を奪い、視線は目的の場所へ瞬間移動。
 
そこにはまたも代筆で、
 
「彼女は乳がんのため病死しました。連絡が遅くなってすみません。〇〇と一緒に田植えしたことは、忘れられない思い出です。」
 
僕は、紙を掴んだまま、目の前の台の上に手をついて、いっとき動けなかった。
肚の中の芯の部分がスコン!と下に抜け落ちて、身体に力が入らなかったからだ。
なんとか、台の上の手で身体を支えていた。
悲しみでもなく、苦しみでもなく、虚しさでもない。
なんともいえない感情が僕の心を覆った。
涙は出なかった。
一体どういえばいいのか?この想いを。
 
「ついに来たか。ついに来てしまったか。この時が。」
という気持ちが最も適当だと思う。
 
そして、このファックスを送ってくれた彼のことを想わずにはいられなかった。
彼女は昨年末に亡くなっていた。
だから、10ヶ月間、丸々彼が、僕のお米を食べ続けてくれたことになる。
そして、また。今年も、連絡事項でファックスを送ってきたわけではない。
ちゃんとした注文のファックスだ。
つまり、今年も来年も、僕のお米を彼が一人で食べ続けるということだ。
 
僕は思った。
生きてる。彼女は生きてる。
そう、ここに。彼の中に、生きている。
そしてそれは、僕の中にも同じく、生きている。
そしてそれは永遠となった。
 
だからなのかもしれない。
悲しみでも、苦しみでも、虚しさでもなく、以前と同じように思ったのは。
彼女の輝きを曇らせることのない中川吉右衛門米を、僕は創る。
 
彼の中に彼女は生きている。
僕の中にも生きている。
 
そして、彼も僕も生きてく。
生きてる・生きてく。
 
あの世から見ていてください。
生きてる・生きていく僕を。
ありがとう。
 
中川吉右衛門

実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。なぜって、夢はその人が死んだ後も生き続けるのですから。ーココ・シャネル
中川 吉右衛門の画像のようです
 
 
 
 
 
 

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