【ある栄養士の挑戦 】

【ある栄養士の挑戦 】

全国のフレンドの皆様、超おはようございます!

農内変換、愛とパワーを与える百姓、中川吉右衛門です。

世の中は、なんだかんだ言っても、やるかやらないか、
です。

やるから良いとか、やらないから悪いではなく、全ては自分が決め、行動するだけ。

でも僕は、強烈に「やったほうが良い」と言い切ります。

それは、こんなことが起きるからです。

昨日、東京の小学校に、来年度の食農教育事業への取り組みや、米飯給食の報告会などがあり、僕は来年度の食農教育授業の新しい提案をプレゼンしに、この会議に参加いたしました。

僕にとって、プレゼンも大事ですし、おきたま農業青年部の食農教育事業も大切ですが、何よりもこの給食の仕組みや、現場の栄養士さんの実態を知ることが出来て、本当に勉強になりました。

栄養士さん。
めっちゃ頑張ってるんですよね。

よくもまぁ、こんなに色々考えて、献立考えるもんだなぁと、関心しました。

ありとあらゆる制約の中で、それらをかいくぐって、献立考えてる。

それでも下手すりゃ文句言われる。

なんでやねん!

僕からすれば、本当に訳がわからない。

自分の食べたいもん作ってるわけじゃないんですよ。

全ては子供たちの為に、栄養の基準とか、品数とか、調理師さんの力量とか、設備の大きさとか、決められた時間内に作れるかとか、決められた金額内なのかとか、それはもうアホみたいに余計な事ばかり考えに考えて、献立作ってるんです。

それのどこに文句つけられるのか?って。

それでも、文句言う親がいたり、先生がいたり、生徒がいたりする。

もうね、聞いてるだけで、ふつふつと怒りが込み上げて来て、久しぶりに頭がめっちゃ痒くなりましたよ笑

だから、食育の方針とか、進め方とかそんな次元の話じゃなくて、最も基本的な、

「食べ物は感謝して残さずいただく。」

これだけでしょ。

全てにありがとう!でしょ。

これしかない。

これが本当の本当に腹に収まり、当たり前の感覚になることが、食育のゴールだと僕は思う。

そもそも、そんな事は学校で教えることではなく、家庭でとことん小さい頃から言われ続け、いつの間にか、思考に染み込んでいくものなんです。

なのだけれど、今はそれを子供に教えられる親が居なくなった。

だから今度は、学校で教えましょうねってことになって、

じゃあ名前何にするってなって、食を育むんだから、食育になって、今は食育と言う言葉と、ちょっとおかしな概念だけが先行している。

この学校給食の複雑さや、栄養士の先生も、国が推進する食育事業により生まれたんです。

だから、食育の本質は、自分の子供に命の大切さを教えられない、情けない親がヤンヤン増えたってことでしょう?

命を健やかに育むのが食なんですよね。

そして食から家庭の全てが始まるのに、それがわかって無い親ばかりになってるから、
学校でそこまで教えなきゃならなくなった。

だから、情けない話なんです。

ここは強烈に情けないと思った方が良い。

でも、こうした時代背景の中で、食への動きが生まれ、学校給食から、食を考える栄養士や、調理師の役割は大きい。

しかし、以前として栄養士さんや食育は学校の中で一番後回しにされがちな状態になっている現状がある。

そんな中で、僕が出会った熱い熱い情熱と信念で食に取り組む、ある栄養士のお話をしようと思ったんです。

長くなったので、この続きは次回にします♫

皆様、食育の本質はなんだ!?を考えるのが、食を育む!の素敵な1日を!

※画像は、この栄養士の先生が情熱熱を持って行動した結果!
続きは次回に♫

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