僕、こだわってません!
全国のフレンドの皆様、超こんにちは!
愛とパワーを与える百姓若旦那、中川吉右衛門です。
よく、
「こだわりのお米ですね」
とか、
「こだわりの栽培ですね」
と言われます。
それを言ってくれるのは、まぁ嬉しいのですが、僕としては、
「ぜんっっっっぜん、こだわってません!」
って感じなんですよね。
なんていうのかなぁ。
こだわりのお米とか、こだわりの野菜とか、こだわりの果物とか、
あまりにも軽々しく使われすぎて、こだわりって何が?
と思って、紹介文なんて見てみると、慣行栽培の作物だったり、減農薬だったり、有機JAS認証だったりと、別段そこまで言うほどのものでもないものが、世の中に溢れまくっていることに気がつきます。
一体、何にこだわっているのか?
全くわかりませんし、伝わらないわけです。
コンビニなんかでも、こだわりのパンとかこだわりの〇〇なんてあるじゃないですか。
コントか!と思いますね。
僕はこだわって自分の農法だとか自然栽培をやっているわけではないので、
「こだわってるね〜〜」
と言われると、
「はぁ・・・いや、別段こだわっていませんが・・」
と、不思議な感覚になるんですね。
確かに、こだわるとは
「些細なことにまで気をくばる」的な部分もありますので、それは確かにそうです。
でも部分的にです。
農法全体や自然栽培にこだわっているわけではないのです。僕は。
僕は自分の信念に忠実に従っているだけで、要は
「やりたいからやっている」
のであって、
「こだわってやっている」
わけではないのです。
ここが似ているようで、全く違うのです。
似て非なるものです。
こだわると、囚われるのです。
あらゆるものに。
辞書で一度「こだわる」を引いてみてください。
良い言葉のように使われていますが、意味としては
①心が何かにとらわれて,自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。
などなど、このほかいろいろ意味が出てきますが、決して良い意味ではないことがすぐにわかります。
なので、「こだわり」は捨て去ることこそ、自然と向き合えるのです。
こだわりを捨てて、ようやく、種の声が聞こえるのです。
稲の声が聞こえるのです。
自然の蠢き、風の音、流れ、雲の行き先、運んでくるその時その時の匂い。
これを感じることができるのです。
こだわっていると、こうしたものに素直に向き合えなくなります。
自分のこだわりというデフォルメがかかるから。
だから、僕はこだわりの農法とか、こだわりのお米とか、そんなもんをやっているわけではないのです。
「やりたくてやりたくてたまらないからやっている」
のですよ。
そして、ここまで自分の魂を鷲掴みにされた、「自然栽培」の素晴らしさに、心から敬意を持っているし、そこにこそ世界を変えていける力があると確信しているから、百姓のほか、農Fもそう、いろんなイベントもそう、トークもそう。
それをやっているのです。
なので、皆様。
「こだわりのお米」なんて、当たり障りのない言葉で、僕のお米とか百姓としての生き様を簡単便利にまとめてくださんな。
勘違いされると困りますので。
僕の百姓としての生き様は、
「王道のど真ん中をまっすぐ歩く百姓」です。
以後、よろしくお願いします。
皆様、こだわっている人にこだわってますね〜とか、本気の人に本気ですね〜とか、言うのはやめよう!まるでアホみたいじゃないですか。の素敵な1日を!!
※注 と、言いながらも、苗代の均平には、ミリ単位でこだわっている吉右衛門の画像です笑
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