【 食農教育 IN 東京と 僕の考察 】
【 食農教育 IN 東京と 僕の考察 】
全国のフレンドの皆さま、超おはようございます!
農内変換・愛とパワーを与える百姓、中川吉右衛門です。
教育現場が危ない!
よく聞くお話です。
僕も、メディアや人づてに聞いたお話、ニュースなどの情報から、いまの学校教育というものがおかしな方向にどんどん進んでいるのではないか?
このままでは、まずいんじゃないか???
と感じていました。
しかし、僕は子どももいませんし、今の小中学校のリアルな教育の現場と言うものを、実際に体感・経験する事はありません。
それを先日、体感・経験してきました。
それをリアルに体験する事ができ、とてもいい経験になったと共に、僕の感じている危機感は、間違いない!と確信したのです。
先日、東京のある小学校に、農業青年部の取り組みの一つである、「食農教育」の一環で、わが置賜のお米を学校給食に使ってくれている小学校に行ってきました。
その学校の5年生が屋上で稲作りをしたのです。
その収穫作業と、リアルな生産者からのお話を聞くという、授業の中の取り組みです。
午後の2コマのをまるまる稲刈り体験と、僕達のお話を聞いたり、そこでの質問などを通じ、食と農をより深く学ぶ授業内容でした。
午後からの授業でしたが、その前に5年生と給食を食べよう!と言う予定になっていました。
小学生と一緒に教室で給食をたべるなんて、まさに26年ぶりです!!
めちゃくちゃ、楽しみにしていたのですが・・・・・
そこで僕は、今の教育の現場のひどさを目の当たりにしました。
見知らぬあんちゃんが来て、いっしょに給食を食べることなんて、生徒にとってもあり得ない事。
なので、生徒たちのテンションはおかしな方向に上がりまくり。
クラスのほぼ全員が、おとなしく、落ち着いて給食を食べることはありませんでした。
「いただきます」もきちんと言わない。
そうかと思うと、勝手に席を立って、自分の嫌いな物を給食を運ぶトレーの中に捨てている子ども・・・・
「おいおい!君?どうしたの?」
と僕が聞くと、先生が立ってきて、
「はい、食べれないものがある人は並んでください。」
といって、一気に10人ぐらいの子が席をたち、前に並び始めました。
で、その子たちの持ってきた給食のおかずを、先生がわざわざ取り分けて、捨てようとしたのです。
僕は唖然として、
「ちょっ・ちょっと!それ捨てるんですか?」
というと、困った顔をしたので、
「じゃあ僕にください。僕が全部食べますから。」
というと、今度は、それを聞いていた別の子ども達が、
「おれもほしい!!!」
と騒ぎだしました。
なんだ、これでバランス取れるな。
と思い、
「じゃあ欲しい人は前に並んで、食べない人からもらって食べてねーー!!」
と、なぜか担任でもない僕が仕切っていました(笑)
このあと、給食を食べながら、今回挑戦した稲作りについていろいろお話してくださいとのことだったので、感想など聞いてみたところ・・・
誰一人きちんと自分の意見・言葉で感想を言えません。
それでもシ~~ンとする訳ではなく、あちこちでかってにおしゃべりをしていて騒がしいのです。
僕も困ってしまったので、
「じゃあ学級委員長からまずは聞いてみようかな?学級委員長は誰かな?」
というと、驚愕の事実が!!!
なななななななんと!!!
この小学校には学級委員とか、学級委員長というものは存在しないと言うのです!!!
ナンダッテーーーーーー!!!
後で聞いた理由が、これまた傑作でした。
その理由とは、
「ある特定の人だけに、クラスの責任者のような役割や責任を押しつける可能性があることは問題だ」というのですね。
・・・・・????
だからなに??
何かしらの責任を持つことは、学級委員長だけでは無い。
いきもの係だろうが、保険係だろうが、みんな責任を持つ。
そして、それら生徒一人一人の責任の上活動している事を、先生や児童会にあげ、情報をまとめ、報告したり、取りまとめたりするのが学級委員長ではなかったか。
それらは、教師の仕事では無い。
あくまで、生徒の活動であるから、生徒の仕事である。
家庭では無い、パブリックな場所である、学校という社会のなかで、クラスの様々な活動や、そこでみんなと共に行動することにおいては、一人一人が何らかの責任を持つ。
それをじっくりと易しく教えて行くのが、義務教育の場では無いのか?
それなのに、責任を持つことを放棄させ、いったい何のための団体教育なのだろうか。
では、そういった細かいクラスや生徒の取りまとめは、誰が行っているのか。
それを今の先生方が行っているわけです。
これでは、先生方が本来やるべき教育の質の部分に、教師が力を入れられるわけが無い。
余計な手間や時間や仕事におわれ、先生が本来やるべき、子ども達の為の教育の質の向上に力を注げるわけもない。
とにかく、学級委員や学級委員長と言うものが存在しない事は、僕にとって驚きだった。
その後も、どんな質問をしても、意見を聞いても、まともに答えられる、答えようとする生徒は無く、いい加減僕は腹が立ってきた。
我慢しましたが、それからも子ども達はさらにヒートアップ。
デザートのリンゴを取りあい、じゃんけんで決めるとなると、クラスの半分以上は一斉に廊下に飛び出しじゃんけんで騒ぎまくる。
そのじゃんけんすらまともにまとまらず、最終的には、泣く子ども、はしゃぎまくる子ども、なぜか先生にじゃんけんの抗議をしている子ども、泣いている子にちょっかいを出し、殴り合いのケンカまで勃発。
ちなみに、給食はまだ終わって無く、途中ででほったらかしですからね。
この状態で。
これ11歳の子どもですかね?
幼稚園か、小学校1,2年生の精神年齢だと感じました。
ひどい!あまりにもひどすぎる!!
結局、ケンカを止めに入り、ケンカした子どもたちを連れて、話し合いをしにどこかへ行ってしまった先生は居なくなり、その場には、僕と奇妙なテンションの子ども達だけに。
想像してください。
まさにカオスですよ。
この異常なテンションを収めようと、さぁどうしたものか?と思っていると・・・
そこで、チャイムが鳴りました。
このチャイムは絶大な力を持っていますね。
チャイムが鳴ったら、いままで異常に興奮していた子どもたちが、一斉に席に戻り、いい加減な「ごちそうさま」をいい、給食モードから一気に掃除モードに変わったのです。
僕は、見ていて驚きと共に感心し、そして恐くなりました。
パブロフの犬だ!
まさにパブロフの子ども達!!
そのまま僕は一旦控室に戻り、今見た現状を整理していました。
食農教育をどうこういうお話では無い。
その食の現場。
食べる現場が崩壊しているのを目の当たりにしたのだ。
教育の現場が危ない。
それは間違いない。
それは子どもが悪いのだろうか。
それとも先生が悪いのだろうか。
地域が悪いのだろうか。
社会が悪いのだろうか。
否。
それは枝葉の現象だと僕は思う。
根っこは、根本の部分は、やはり、家庭での教育。
特に食については、家庭でのお母さんと親父の、確固たる価値感が我が子に押しつけられてしかるべきだと僕はおもう。
親の食に対する価値感がおかしければ、当然子どもの食に対する価値感や意味もおかしくなる。
それを痛感したのです。
いま、食育がブームのようになっています。
そのターゲットが子どもって言うのが、まずおかしい。
そしてそれを学校がやることもこれまたおかしな話です。
本当に食育を学ばなくてはならないのは、子どもではなく、その親たちなのではないかと、僕はおもう。
なので、僕の夢がまた一つ増えました。
「世の中から、学校での食育を無くすこと」
食や農の事はとどのつまり、生きる事です。
生きる事は、家庭で教えてしかるべきです。
リアルな現場を見れて、僕にとっては素晴らしい経験でした。
最高にありがとうございます!
皆様、学校で教える事は、徹底的に学問であり、知的好奇心を引き出す事だ!の一日を
=食農教育編 つづく=
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