【天然農法講座その16】

[農は芸術だ]

僕は、農は藝術だと何度も言っているんですが、農は藝術だと思って考えると、古い中国の辞書にも「芸夫」と言う言葉があり、生産に携わっている人だと言うことが説明してある。

芸夫と農夫とをくっつけると、今の食生産者と言う意味が出てくるわけです。

農生産者を消費者は軽視しがちですが、僕は農生産者は、毎日毎日《つくる》と言う美的創作活動をやってるんだ、だから藝術家だと自負しているわけです。

農夫と言うのは、上は聖に至るまで徳のある人出なければならない。

だから農夫は自然を素材にして、食べものつくるのに、食べものでもない物を使って商品をつくると言う、そんな誤魔化しやまやかしはできないですよ。

聖なんですから。

それに、徳のある人間だと考えると、何でもできなければならない。

百姓百品と言う言葉があるんです。

今時の農業者も簡単に言っている人が居ますが、己に徳が無くして、百姓百品なんて出来ないんですよ。

百姓百品やろうと思ったら、まずは徳を身につけなければいけない。
徳を身につけるには、色々な苦しみを体験し、乗り越えて来なければならない。

そうして百姓百品ができる人になるんです。


ここでまた《農夫薬師》に話を戻しますと、自分の身体も自分で治さなくてはならない。

他人様の身体も治してあげなければならない。
こういう医学行動まで出てくるんです。

こういう人を野夫薬師と言いました。

当時の薬師と言うのは医者の事です。

この野夫薬師は、人の体を治す方が田んぼの仕事よりも実労働は楽です。

そこで、ついつい治療の方に専念してしまって、コレが医者になって行きました。


野夫医者と言うのは、本来なんでも出来る医者なんです。

しかし、一方で権力体制は、典医典薬と言う職業を外国から持ち込み、宗教家あがりの知識人。

ようは坊さんが権力のお抱え医者になった。

宗教と医学は治療において同一行動だとするこの権力側のお抱え医者と、野夫医者を比べて、あいつらは何も知らんのだから、田畑で蛙切っていたらいいんだよ!(農夫は[蛙切り]と言われてました)

と、こういう罵倒になり、ヤブ医者と言うのは何も出来ない、偽もんの医者、藪医者の事を言うようになったんです。


本当はなんでも出来る、野夫薬師だったんです。

野夫薬師は裸足の医者なんです。

かけずりまわって、多くの人の体を治しに行ってたんです!

今の国境なき医師団以上の物があったと僕は思います。

つづく

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いかがだったでしょうか。

今週はここまで!

来週もお楽しみに!


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