【天然農法講座その13】

 

前回は農は芸術である。

そのための概念として、芸の成り立ちや変化をお話ししました。

今回もまたこちらをご覧になりながら、お話を進めて行こうと思います。

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《耘=縄文時代・耕=弥生時代》

 

略字体の「芸」の字は、ウンと呼びました。

ウン草とは、ニオイ草。

香料植物のことを言います。

 

このウンと言う発音を仮借して、くさぎるというウン=耘の字が当てはめられています。

 

このくさぎるは管理の最も初歩的な基本になるもの。

要は天然農法で使われる管理方法で、草むしり、または草刈りを具体的にして行く事です。

 

くさぎるというのは、目的の作物に対し、邪魔をしている草は、邪魔している部分だけちょん切るって事です。

 

草むしりというのは、邪魔している草を引きむしる。

この「むしる」というところに意味があり、根っこは残るんですね。

 

草引きじゃない。

 

草刈りというのは手ではむしれないほど大きくなってくると、刈るという根の残し方になるわけです。

 

草刈りはあくまで刈るんです。

今、耕地とか農地とか呼ばれている生産の場を常に維持するのに、なぜ根を残すのか?というと、根には根園微生物のコロニーがたくさんあるんです。

まさに根園微生物の住処なんですね。

 

それを大事にするともに、土を動かして行くとその根園が枯れて行き、

土が団粒化していくという事です。

 

土の中に縦横無尽に張り巡らされている根が死んで枯れるより先に、土を団粒化して行くのです。

 

地上部を成育するだけの力がなくなったら枯れたも同然ですので、それは有機物として微生物の餌になる。

 

根は土の組織を団粒化する最高の実力者なのです。

外から堆肥を入れ、有機物を入れて耕すことが団粒化じゃない。

 

それよりも前に団粒組織にするのは植物の根なのです。

 

縦横無尽に張り巡らされた根は、その状態自体が団粒組織化してくるわけです。

さらに「耘」が転意して「耕」になった。

 

転意とは時勢が来ると変わる使い方。

考えが換わってくることです。

 

耕になったのは水田耕作。

米づくりからです。

 

米づくりからというのは「耘」までは縄文時代、「耕」ッキリした栽培技術の歴史の中で明白に示されています。

 

日本の米づくりは水田耕作から始まっています。

 

水を入れるから土が沈殿する、固まる。

 

その後に次の作物を作る時は、柔らかい農地であるはずの土地が、固い耕地になっているわけです。

 

耕地は耕さなくてはいけない。

[天地返し]しなければならない。

 

だから耕すこと、すなわち《田返す》です。

 

それは《耕して天にかえる》事になった。

 

ひっくり返すことは自然破壊という事です。

 

これが水田耕作の宿命なのです。

 

米づくりをメインとしている僕がこんな事を言うのは勇気がいるのですが、実は、天然農法を理解する上では、この水田耕作を批判しなければ日本人の生き方、命の守り方、正しい生き方の本分を理解することはできないのです。

 

つづく

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いかがでしたでしょうか?

 

なんと!天然農法では水田耕作の否定こそが.

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

 

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